2022年8月記
お盆が近づいてくると思い出すのがセの同級生の岡野さんだ。
岡野さんとの山は特別楽しく色んな山を一緒に歩いたがその中でも飯豊山の思い出は別格だった。
丸森尾根、川入登山口から二年続けての飯豊山はどちらも途中撤退となったが登頂した時と違ってそれはそれで愉快で豪快でいつまでたっても忘れられない出来事である。
その岡野さんも数年前に長く病気を患った末に亡くなってしまった。それまで週に2~3回は我が家に遊びに来ていた。セの同級生ではあったがナも暫くの間、岡野ロスに見舞われ喪失感が無くなるまで長い時間がかかった。今でも時々二人で岡野さんを思い出しながら懐かしんでいる。
🥃🥃🥃
まだ小屋が空いていた当時は小屋で酒を飲むのが一番の楽しみだった。岡野さんと飲む酒を調達することに神経が集中してしまい肝心のカメラを忘れてしまった大朝日岳。皮肉にもその時は最高の紅葉だった。その後何度行ってもまだその時の紅葉に巡り合っていない。
大朝日岳の面白話しも多々あるが何と言っても彼とは何度も行った飯豊山の事が思い出される。
その中でも1997年、1998年と二年続けて飯豊連峰を目指した時の事は忘れられない思い出となった。悪天候の為2回とも途中撤退をせざるを得ない状況になってしまった山行は残念ではあったが今思い出しても笑ってしまう。
1997年は丸森尾根から丸森峰を越えて地神北峰の分岐まで行ったが爆風で撤退・
1998年は川入から飯豊山山頂を目指したのだったがこれ又切合せ小屋から撤退、彼を思い出しながら・・・記録のみでの珍山行
飯豊山登山記録
1997年平成9年7月5日登山 前日午後岩間発
丸森尾根~地神北峰
(北股岳標高2024.9M)
標高 約1,800 m
天狗平登山口より標高差 約1,400 M
大雨、稜線暴風雨
2日前の天気予報では日本海側に前線がありあまり期待は出来なかったが、下山予定日である二日目は晴れ間が覗くという事だったので、意を決して岩間を出発、一路小国町へ向かった。私達夫婦と友人岡野氏の3人、目指すは飯豊連峰北股岳である。
その夜、飯豊山荘付近の駐車場にはテントが3張りあり、車も5、6台あった。満天の星空を仰ぎながら明日の天気は好転したと思い心浮き浮き、まだ暖かい舗装道路の上に座り懐中電灯の明りの中でゆったりと酒を酌み交わし、夢のように楽しい一夜を過した。テントの周囲でも同じように明りが灯り人の陰が揺らめいていた。
未明、寝ている耳に突然バタバタという大きな音がして目が覚めた。それは大粒の雨が降出した音だった。外を見ると未だ暗いがテントの人達が右往左往しているのが見えた。とりあえず、朝食をとりながら出発するか否かを相談、皆迷ったが結局明日の天気予報を信じ出発することになる。まだ薄暗い丸森尾根は冷たい雨の中の登山となった。
いきなりの急登を登り始めて間もなく岡野氏の調子が変だ。彼は前夜の酒が未だ残っているらしく途中少し吐いたりした。大丈夫とは言うがスローペースを保つ。だが彼の調子が出るまでにそう多くの時間は掛からなかった。水場付近まで来ると彼の調子とは裏腹に風が時々強く吹くようになりだした。雨脚は相変わらず衰える様子はなく、それどころか登るにつれ風雨とも益々強くなっていくのを感じていた。
丸森峰に着く頃相次いで下山者に会った。その内の一組は八人の女子大学生パーティで、風が強くとても進める状態ではなく丸森峰から戻ったという。可哀想に誰も言葉少なで、テント泊の大きなザックの雨に打たれる後ろ姿がとても寂しそうだ。次に会った二人連れの青年も同じ様に、風がすごくて時々小石が飛んで来たりで進むどころではないと言った。彼女と友人は素直に戻ろうと言う。だが私はその状況を自分の目で見て判断しようと言った。岡野氏の体力が頭を過る。ここから最寄りの頼母木小屋までは約一時間半、時間をかけてでも行くことが出来れば下るよりははるかに楽だと判断したからだ。そして主稜への突き当たりの地神北峰までは風向きからして問題ないと思ったからだ。
しかし、もっと先へ進んでそれから戻るとなれば体力的には更に厳しい状況となるのは間違いない。私はこの時点では未だなんとか行けるという気持ちが強かった。
丸森峰からは一段と風が強くなり、吹き返しによる乱気流の風や時々薙ぎ倒すように吹く強烈な風は、大きなザックを横からも後ろからも容赦なく揺すり、身を屈めて歩いても幼児のよちよち歩きか千鳥足のようになり、時々手を付いたりして堪えた。
悪戦苦闘の連続に彼女はとうとう岡野氏の巨体に目をつけた。細引きを取出し、彼女の三倍もあろうかという彼の大きな腹に許しを得るでもなく巻き付けると、自分は軽い?ので飛ばされないようにすると言ってその細引きの末端をしっかと持った。
始めは呆気に取られていた彼も何をされているのか判った時、
「俺、重しかよ~」と言ってはいたが素直に成すがままにされていた。
彼女と彼が歩く後ろ姿はあたかも牛に引かれて善光寺ならぬ”牛に引かれて飯豊山”といったところである。しかし、よくもまあこんな事が思いつくものだと感心もするが、何かままごと遊びみたいな幼稚っぽさも拭いきれない。
雨は全く弱まる気配をみせず、目指す地神北峰付近はガスがすごい早さで吹き飛んで行き、見上げる空は雨が縞模様になって渦を巻いたり、あるいはオーロラのようになったりしながら横に流れ、荒れ狂う風が音と共に見えるようだった。そんな状況の中で、咲き残りのチングルマの花が千切れそうに激しく風に揺れていた。
笹の中にはネマガリタケの太い旨そうなタケノコがいっぱい出ていた。あまり旨そうだったので今夜のおかずに何本か採ろうとしたら、振返った彼女に見つかり、
「それどころではないでしょう~!」とお叱りを受ける。這いつくばるように歩きやっとの思いで地神北峰の分岐に着いた。笹藪を抜けて尾根に出た途端、日本海側から吹上げる猛烈な風が激しい音と共に私達に襲いかかった。瞬時にカッパの帽子は剥がされザックカバーも飛ばされそうになった。
丁度そこに大きな木の道標があってそれにしがみついていなければ私達自体飛ばされそうである。大声で話し掛けるが声が通らず、互いに口だけがぱくぱく動いた。二人はすぐに風下側の笹藪に避難し、私は道標にしがみついたまま様子を見る事にした。たが風は休みなく連続して吹いている。
ここから門内小屋まで1時間10分、反対方向ではあるが一番近い頼母木小屋までは30~40分、どちらもここからは尾根歩きとなる。もう心は決まった。この状態での尾根歩きは相当な危険を伴う事は確実な状況であり、一応3人で協議して撤退する事にした。トレーニング不足の岡野氏の体力が相当きつくなる事が予想されたので、時間に構わず暗くなる事も視野に入れゆっくりペースで下山することにした。
丸森峰までは相変わらず吹き返しの風に煽られ、よろめきながら、できるだけ足を開き屈むようにして、一歩一歩前進する。長く感じる時間。ようやく丸森峰を超えた。灌木の林の中に入ると、風は凄い音を立てて頭上の灌木を払い飛ばすかのように通り過ぎていくが直接風は当らなくなり大分楽になった。彼も細引きから開放される。しかし、雨は依然として強く、カッパの庇から滴れ落ちるような冷たい雫は時々頬を伝う。雨が流れる薄暗いグシャグシャ道はともすれば無口になりがちだが、意識してかどうかは判らないが、彼女の元気な声が良く通り大いに助かる。
風雨はとうとう一日中止まず、登山口に着いた時は丁度五時を指していた。
雨に煙る駐車場は我々の車と他の車のニ台があるだけで人の気配は全くなく、寝静まったかのようにひっそりとして幽玄の世界を醸し出していた。
それからはびっしょりに濡れた体を熱い温泉で温め、にこにこしながら帰途に付いたのは言うまでもない。
私達に、「そんなに大きな腹で山に来ている人なんて未だかつて見た事ない」などと常々言われていた岡野氏は、今回の山行では重しとして大分役にたったと名誉挽回とは相成ったが・・・。
その後彼は事ある度、「ほ~れな、吹けば飛ぶような主人より俺が頼りだったろ、わっはっは~」とか、「人は窮地に立たされるとな、誰だって彼女のように一番先に安全な方に着くんだよ。誰が安全かちゃんと分かっているんだ。わっはっはっ~」とか、いろいろ言って自慢気に豪快に笑っている。
そんな事があったからか彼は最近とどまる所を知らず太りだしている。
🌲🌲🌲🌀🌀🌀
1998年 平成10年6月21日朝登山口着21日22日登山
川入~三国岳~種蒔山~切合小屋泊
~草履塚~北ノ峰~切合小屋~三国岳~川入
標高差 1,300 M
~草履塚~北ノ峰~切合小屋~三国岳~川入
標高差 1,300 M
私達夫婦と友人岡野氏が剣ガ峰を越え三国岳に到着したのは、たしか11時頃だったと思う。彼が腹へったと言うのでそこで昼食とする事にし、何時ものようにラーメンを煮て食べていた。
そこへ30~40歳位の軽装備の若い男の人が、挨拶しながら登って来た。
「本山までですか❓」と話し掛けると
「今日は時間がなかったのでここまでなんです」と言う。
少し話していると、もう1人、やはり軽装備の50~60歳の男の人が下りて来て挨拶を交わした。
「早いですね~、何処の小屋に泊まったんですか❓」と聞いた。すると
「本山小屋に泊まったんですがね~・・」と言って話し出した。
「飯豊の小屋はみんな無人なんですね~、てっきり一泊ニ食とかで泊まれるもんだと思ってた・・」と言う。
まさかと思い、「えっ」と聞き直した。
「飯豊は花が素晴らしいと聞いて写真を撮りに来たのだが、カメラと弁当だけ持って来れば良いと思って・・、まさか無人小屋とは・・」と続けた。
良く見ると20~30リットル位のザックは萎んでおり、その上にはカメラの三脚が乗っているだけで、確かに避難小屋泊りの装備とは程遠いものであった。
「ウィンドブレ-カ-は持って来たが、夕べは寒くて、眠れなくて一晩中起きていた・・。」
「他に誰か一緒に泊まった人は❓」
「一人だけで心細かった~、明るくなるのが待ちどうしくて待ちどうしくて・・すぐに出て来たんです。」
「へえ~、そうだったんですか、それはそれは、大変な思いをしましたね~。でも良かったですね、何事もなくて」
「ほんとう・・、でも、花も残雪も本当に奇麗だった~、今度は装備を整え又出直しますよ」と彼は言う。
ここまで下りて来て今日初めて人に会ったみたいで、話しをしているうちようやく表情が緩んだ。
ぼちぼち咲いていたタニウツギやヒメサユリやニッコウキスゲが、このあとも次々と現れては我々の目を奪い、そのたびに足留めを食った。のんびり歩きのため時間は大分掛ったがやっと切合小屋へ着く。
そこには誰もいなく無造作にザックを下ろすと、先ず記念写真を撮りながら周囲を散策した。相変わらず空は曇っていたが、御坪からその先の峰々や朝日連邦がブル-のシルエットのごとく、そして残雪の大日岳がヨツバシオガマの向こうにくっきりと見えていた。のんびりと一時を過した後、岡野氏と私が御沢雪渓の下から流れ出ている水を汲みにアイゼンを付けて谷に下りた。冷たい水をたっぷり担いでフウフウ言いながら登って来ると、彼女が種蒔山分れより少し御沢の方へ下った夏道で
待っていた。
待っていた。
「何処まで行ったの❓」と言いながらビ-ルを差し出し、「ここで冷やしたら❓」と指差す。見ると、そこには足元まで引いてあるホ-スの先から水がトートーと出ていた。
「あれ?、あんな所まで汲みに行くことなかったんじゃないか」
「そうよ、ここにいるのかと思った、おばかさんね~」てな事に。
「気が効くね~、有難う」と誉めながらビールを冷やすと、何とものの数分位で冷えた。
早速乾杯、飲みながらゆっくり小屋に戻る。
冷えたビールは食道や胃が何処にあるかを一口飲むたび教えてくれた。
夕飯のメニューは事前の打合せはないものの岡野氏も私達も当然のようにラーメンとなる。来る途中で採って来たネマガリタケのたけのこをラーメンの具に入れて、更に彼はたけのこの味噌煮を作る。彼の得意料理で、これをつまみに飲む水割りの一杯もまた、小屋生活には欠かせない楽しみの一つで、皆に味わせてやりたい
と思う至福の一時でもある。いい加減酔が廻ってくる頃、鍋の底が尽いてきて、
「清ちゃん、たけのこなくなっちゃったよ」と彼が言う。そうなると私が自然に採りに出かける事になる。私の方が探すのは上手いと自他共に認めているからだ。外は雨が降出していたので傘をさして採りに出掛けた。意外に近くで見付ける事が出来、大きいのをたんまり採って戻って来た。すると、今度は鍋いっぱいの味噌煮が出来、更に宴会は続いた。その内私達は腹がいっぱいになり、酔いも廻り、更に眠たくなって来たので休む事にした。だが、彼は未だ元気でもう少し飲んでからにすると言う。
彼女は、「たけのこ未だいっぱいあるね~、明日の朝食のおかずにしようよ、ね」と言うと、
彼も、「それは良い考えだ」と言ってニンマリしていた。
小屋は私達以外とうとう誰も来なかった。私達二人が寝ると、風の音も雨の音も聞えず寂しい程シーンと静まり返った。どの位寝ただろうか突然騒々しい声に目を覚ました。
すると、小屋の隅の方で、「う-っ!、寒い、サム、サム、うーっ!」と暗闇の中で騒いでいるのがいた。声の主はもちろん岡野氏に違いなかった。
彼女がびっくりして、「どうしたのっ?」と言いながらライトを探す。
その間、「うう寒-!、寒、シェラフが・・」と言いながら寝たままである。
ライトに照らし出された彼は仰向けに横たわり、ふとんのようにシェラフを腹の上に乗せ、靴下もなく素足が見えていた。相変わらず、「うう-っ、寒!」と言っているだけで起きようとはしない、いや、酒の呑み過ぎできっと起きられないのだ。
彼女は靴下を探して履かせながら、「こんなでは寒いの当ったり前でしょう!、全く-」と言いながらシェラフに潜らせチャックまで閉めて、
「うちの父ちゃんだけでも大変なのに・・、よその父ちゃんまで何で私がこんな事やらなければならないの!」半ば怒っていた。
しかし、当の本人といえば酔っぱらっているからと知らぬが仏。
「ああ~、今度はいいやー」とニンマリ喜んでいた。ようやく一件落着、静かになり再び眠りに就いた。
しばらく寝た頃、今度は突然ガラガラッという大きな音がして飛び起きた。
土間の方から「いて~ッ!、いててて!」と声がして誰かがうごめいている。
ライトで照らすとそこには岡野氏がスネ辺りを押えながら屈んでた。
「どうしたの?、大丈夫?」と彼女が言うと、
「何か蹴飛ばした、大丈夫だけど、おー痛てっ!」。良く見ると、土間に置いた掃除用の一斗缶のチリトリがひしゃげて転がっていた。トイレに行こうとしてこれを蹴飛ばし、更によろめいて何処かにぶつかったと言う。
「ライトはどうしたの?」
「何処かにある筈なんだが判らないもんで」と、またしてもお騒がせの張本人、反省どころかまた彼女にライトを探して貰っていた。
「全く、もう-」
長い夜だったが当然寝不足の朝を迎えた。外は夜来からの雨がしとしとと降り続いていて、風も少し吹きガスと低い雲が流れていた。気温は大分低い。相談して、先ずは朝食を食べ腹ごしらえをしてから、草履塚の先の北峰辺りまで行って様子を見てみようという事になった。
朝食の支度をしながら、彼女は、「夕べの美味しいたけのこは何処?」と言うと、「あ~こっちにある、あれ!中身がないけど」と岡野氏。
「ええ~?、まさか、ほんとに?」と彼女が奪うように鍋を受け取り中を覗くと、何とあんなにあったたけのこが一かけらも無くなっている。
「誰?、食べちゃったのは?」と岡野氏。
「誰はないでしょう、一番遅くまで飲んでいたのは誰よ」と彼女が言う。
しかし、それでも彼は未だ納得しないで、「俺、食べちゃったのかな?ほんとに❓・・」と言っている。
彼女はあの旨かったたけのこが本当に食べたかったみたいで、「楽しみだったのにな~、もう~」とすごくがっかりしていた。
腹ごしらえを終えて、冷たいしとしと雨の中を草履塚に向かって出発した。途中、タカネシオガマ、ヨツバシオガマ、ミヤマハンショウズル、ミヤマキンポウゲ、オノエラン、シラネアオイ、イワカガミ等が咲いていた。北ノ峰のお花畑には、やはりタカネシオガマとヒナウスユキソウ、ミヤマキンバイが咲いていたが、イワウメは終っていた。
雨に濡れ冷たい風に揺れながら咲くこれらの小さな花達には、華やかさよりも心なしか寂しさが漂う。
しかし、それゆえにこそ、計り知れない力強さや忍耐力や、あるいは生命力さえも、私達の胸の奥底にまで染込ませ揺さぶる。
此処からは全てがガスの中に隠れ、飯豊本山の裾も、姥権現の鞍部さえも見えなかった。しかし、ほんの一瞬だけ、数秒間位か、ガスの切れ間に朝日連邦の姿を垣間見る事が出来たが、それは、せっかく来た私達への山の精からの贈りものだったのかも知れない。此処で本山へは諦め下山する事にしたが、その日はとうとう一日中雨の中を歩いた。
行き会う人は一人もいなかったが、私達には何よりも楽しい思い出がいっぱい出来て、それらを土産に、誰にも判らない幸せな気分で帰途に付いた。
🏔
2003年6月 飯豊本山にて
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