思い出の山行・飯豊山1995年(御沢雪渓)

  二人にとって本格的な山歩き、避難小屋泊の原点となった飯豊山、もう一度歩ける日が来る事を願いながら・・・思い出山行

1995年(平成7年)6月30日夜行7月1日~2日
コース
飯豊山
第1日 大日杉登山口~地蔵岳~御坪~御沢雪渓~
切合小屋 泊
第2日 切合小屋~飯豊本山~御坪~大日杉登山口
 
大日杉登山口には夜行で入り、車中の即席ベットで眠った。

 翌朝、心配していた天気も白み始めた空は曇っていたが、雲は高く今の時期としては良い方だと思いながら出発した。薄暗い足元のヘッドランプの明かりの中に太いワラビが浮かび帰りのお土産に丁度良い状態だった。

 朝の内は疲れもなく意気込みもあって、ザンゲ坂を難なく登り、いつの間にか長之助清水に着く。林内でありまだ薄暗かったが、そこで冷たい水を飲み、水筒を満たした。更に急なブナ林の尾根道をひたすら登る。途中で明るくなり騙し地蔵に着く頃には見通しも良くなって、地蔵岳からは残雪の白い筋を纏った飯豊本山の姿を眺めた。

 そこから御坪までの登山道の傍らにはかなりの範囲でヒメサユリが群生してる。以前来た時は花は既に無い頃で、その花も今回の山行の楽しみだった。だが少し来るのが早かったようで、ほとんどが蕾、咲いているのは三割程度であった。「残念、あと二三日の違いだったかも知れないなー。」と悔しがる。

しかし、今にも咲き出しそうにピンク色に膨れた蕾は、少し前から降り出した雨に濡れながら、それでも付近を明るくしている。それだけでも十分だった。
蕾が大きく重いのであろうか、藪を刈り払われ支えの無くなった登山道側に傾いているものが多く、避けて通るのに気を遣う。



 ヒメサユリに気を取られている内に御坪に着く。ここは白い幹のダケカンバの古木が枝や幹を曲がりくねらせ、あるいは根元を持ち上げ、様々な形でこざっぱりした登山道の両側に生えている。砂目の地面と合間ってあたかも日本庭園を想わせる所である。よく見ていると、白い木の妖精たちが静かに座り、みんなでお喋りでもしているかのように見える。
「まるでお伽の国みたいだね」と彼女が言う。そのダケカンバの新緑の向こうに御沢雪渓画あり、更に豊富な残雪を抱いた種蒔山や草履塚へと続いている。その御沢雪渓を登り詰めた辺りが今日の宿となる切合小屋のある所だ。そこまでのルートを目で追えば想像以上の残雪量だった。しばらく眺めながら行くか撤退すべきか迷っていた。

 雪渓歩きはいつも気持ち良い。しばらく行くとスプーンカットの雪面が所々で凍っている。勾配もだんだん増してきて、行く先はガスの中に消えて行き、振り返れば高度が上がっているのに気付き、慎重になる。少し歩いて振り返れば今歩いて来た深い谷がガスの向こうに消えて、その分それ程恐怖感が湧かないで済んだ。しかし、最後の三メートル位の所は四十五度以上もありそうな雪の壁が、私達に立ちはだかった。ようやくの思いで登り詰めた途端大きな溜息を洩らした。


 切合小屋付近の御沢雪渓上部など水場は雪に覆われていて、草履塚雪渓下部まで水を探しに出掛けた。雪渓と笹原の境近く急に落ち込んだ雪の壁の下方に、一部分だけ沢が開いている所を見つけた。ザーザーと微かに音も聞こえる。
直接降ることは出来ず、その沢の上流側の雪渓を遠巻き、反対側の笹に掴まりがら降った。そこには雪解けで増水した冷たそうな水が勢いよく流れ出ていて、傍には顔を出したばかりのヤマドリゼンマイが、綿毛いっぱい水しぶきを浴びていた。その上部にはアオノツガザクラの小群落があり可愛い花は瑞々しくて丁度見頃だった。

ヤマドリゼンマイ

アオノツガザクラ

 切合小屋で休んでいると、新潟からという女性一人を含む中高年の五人パーティがやって来て、我々の隣に陣取り早速水割りで宴会を始めた。その後また六人やって来てこちらは焼肉で宴会を始める。私は酒を忘れて来たのを悔やんだ。隣のパーティと少し話しながら食事を済ませると、つまらないから寝てしまおうと横になった。すると、「良かったら一緒に飲まないか?、どうぞ。」と声を掛けてくれた。

私は一瞬戸惑ったが、「いいんですかー?、じゃあ一杯だけご馳走になります。」と二人で輪の中に入った。そのパーティの一人は髪を長く伸ばし文明から置き去りされたような感じのひとだった。その人が実は写真家で、福島国体に関係する行事に作品を出展するため、その写真を撮りに来たという。水割を作ってくれている人は体格も良く酒も強そうで、大学のワンダーフォーゲル部で鳴らしたといい、リーダー的役割をこなしているようだった。
少し離れて座っている痩せ型のやさしそうな人が「山大好き男」という名刺を持っていた。なんか怪しげで面白そうなグループであった。

つまみに出されたワラビの漬物さえも黒くて怪しげであったが、しかし、これがまた見た目は悪いが歯ごたえもあり結構旨かった。漬け方をしっかり教わり後で漬けてみることにした。その内焼肉パーティからも焼肉が届いたりしていよいよ盛り上がってくる。

その内一人が歌い始めた。すると結構のど自慢の人がいるもので代わる代わる歌いはじめた。さらに音頭とる者も現れ小屋中大合唱となったりした。民謡とか山の歌ばかりで知っている歌が多く、手拍子だけの私でも結構たのしかった。一通り歌うとぽつぽつ寝る人もでてきてだんだん静かになり始めた。彼女は先に休むことになったが、私は写真家の話を聞いていたので寝る時期を逸した。
しばらく経ってからそのパーティの一人が、「この人に付き合っていると今夜は寝れないかもしれないよ、先に休んだ方がいいよ。」と助け船。
私はここでようやく寝ることができたが、写真家は包装用のエアシートの上に座り、もう一人の仲間と遅くまで話しをしていた。

 翌朝、写真家の話し声が聞こえてきたが、私は目を閉じたまま聞いていた。
「空が白んできたよ、ほらー。」とか、「風が強いけど・・今日の天気は大丈夫みたいだなー。」とか、「あっ、雲の切れ間がいくらか赤くなりだした。」
などと一々実況放送をしている。とうとう彼女も起き出し、皆も相次いで起きだした。
 誰も口数は少なく、忙しく身支度を整えると次々と小屋を出ていく。私達も飯豊本山へと向かった。歩きながら彼女は、「実はね、、あの写真家の人、夕べずっと座ったまま起きていたような気がするんだけど、だってね、目が覚めた時、ふと見ると、静かに座り壁に寄り掛かっていてね、その後も時々目が覚めたので気になってそちらを見ると、やっぱり同じ格好だったんだよねー。」と言った。
「へえー、そういえば彼の寝袋見なかったよな。」「寝るのも遅かったようだし、朝もやけに早かったしねえ。」「もしかして寝袋忘れて来たのかなあ、そういえば、この人に付き合っていたら寝られなくなっちゃうよと仲間が言っていたし、やっぱりそうなのかな~・・そだとしたらすごいね。」と想像した。

 草履塚北峰に着くと、その噂の写真家がガスっている本山にカメラを向けていた。「あれっ?、みんなは?。」と聞くと、「みんなは本山へ行ったよ、私は昨夜飲み過ぎたのでね、今日はここ迄、ここで待っている事にしたよ。」と言う。

 そこからはお花畑の連続である。その数々の小さい花たちの素晴らしさに感激し、吾を忘れてシャッターを切る。中でも大株のオヤマノエンドウの紫の花が、白砂の周りにあちこちで咲いている所は、残雪の大日岳をバックに枯山水を想わせ、しばらくはそこに立ち止まって眺めていた。

ヒナウスユキソウ

オヤマノエンドウ

御秘所に咲くミヤマダイコンソウ
奥に大日岳

ハクサンイチゲ

本山小屋手前に咲くシラネアオイ

 山頂も強風だった。御西岳付近のガスの流れは速く、その向こうに雄大な大日岳をしばらく眺め、「いつかいきたいね。」と、彼女が言う。」「そうだね、縦走もやりたいね。」と、いつ果たせるか分からない夢を残して、山頂を後にした。

飯豊本山


大日岳をバックに



 再びお花畑を堪能しながら切合小屋に戻る。しばらく休んでいると、大勢の人が登って来て、小屋を通り過ぎるとそのまま本山へ登って行った。私達も下山する事にした。ザックを背負い種蒔山方面へ向かって少し行くと、腕章を付けた人が座って休んでいた。「今日は何事なんですか?。」と聞くと、「今日は山開きでね、今大勢登って行ったのがそうだよ。」と教えてくれた。そこから少し先の昨日登って来た辺りから御沢雪渓を見下ろした。

私達は一旦種蒔山中腹まで登り、緩くなった部分の雪渓を横断し、御坪への尾根へ乗ることにした。さらに少し行った所から振り返ると、切合小屋の下辺りの雪渓の急な部分に、一本のザイルとステップが切ってあるのが見えた。
「たしか昨日は無かったよなー・・、あーっ、そうか!。」私はそのザイルが山開きのために取り付けられたのかも知れないと思い、早速先ほどの腕章を付けた人の所まで戻った。「あのザイル使わせていただけないでしょうか?。」と頼んだら、「いいよ、ステップだけ壊さないように気を付けてね。」と快く承諾して頂いた。
「よかったね~、またあの雪渓歩けて、近道だし~。」と二人は大喜び、なんてついているんだろうと思った。

雪渓の降り始めはやはり急で四十度くらいはありそうだ。ザイルがあっても尚緊張する。ステップを直しながら無事緩斜面まで降りることが出来た。緊張から解放されルンルン気分で歩いた。雪渓の両側にはサンカヨウとシラネアオイの花が、湧き始めたガスにしっとり濡れ、透き通るように咲いていた。

ザイルを借りて

ほっと一息



 御坪付近のヒメサユリの群生地に差し掛かると、「あれっ?、見て、たしか昨日は蕾だったと思うんだけど・・。」と彼女。「そうだよねえ、咲いたようだねー、きっと今朝かもね。」と言いながら行く。
するとそこから先の登山道が一変していた。殆ど蕾だったヒメサユリの大部分が開花し、登山道を覆い隠すように咲いていたのである。曇り空にも拘わらずその周辺がボーっと明るくなったのを覚えた。
「へえ~、すごいねえー、こんな事ってほんとうにあるんだー、まるで夢みたい~。」
「きっと私達のために咲いてくれたんだね。」などと話しながら、写真撮りに大分時間を費やす。
中央部分の雪渓を指さしながらあそこを下りて来たとセ

おとぎの国のような御坪

避けて通れない程のヒメサユリが咲く



文字通りこのヒメサユリ街道は、ヒメサユリを避けて通るのに苦労した。
この日を待って瑞々しく咲いてくれたヒメサユリ達に再び訪れんことを誓いながら、この山行も終わりに近づく。








2 件のコメント :

  1. 私が初めて飯豊に登ったコースがこのコースでしたのです懐かしく拝見しました。(我々は天候の悪化により切合小屋に一泊し引返しました。)
    27年前ですか。お二人とも20代の頃ですね。

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    1. 楽山紀行さん、こんにちは。
      アハハ~もちろん20代ですよ。嘘です(笑)
      私達も初めて歩いたコース(案内してもらった)がここでした。
      それからヒメサユリ見たさに何度も通いました。
      でも家からのアクセスが遠くて・・・
      切合小屋まででも行きたいと思うこの頃です(^^ゞ

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