鳳凰三山 思い出の山行・2002年(平成14年)

 山に行けない時は出来ればもう一度とブログを始まる前の山行を思い出しながら計画を
立てるのも楽しいですね。
色んなエピソードがありますが顧みるとみんな楽しかった山ばかりでした。
時々そんな山の話しをこれからも書きたいと思います。 

鳳凰山登山記録

コース
 1日 岩間~御座石鉱泉駐車場 
 第2日 御座石鉱泉駐車場~燕頭山~鳳凰小屋~地蔵岳~観音岳
     薬師岳~鳳凰小屋泊
 第3日 鳳凰小屋~燕頭山~御座石鉱泉駐車場
 標高差 約 1,740 m
 日時・ 2002年(平成14年)7月19日夜行~20日21日登山
 

鳳凰小屋周辺に咲くタカネビランジ

 首都高事故渋滞、午前2時半やっとの思いでたどり着いた登山口、先着の車を起さないように少し離れて車を止める、これが常識。ぐったり疲れてぐっすり寝たかと思いきや、突然車窓を叩く音。ねぼけ眼にボ-と浮かぶは山ん婆か、大きな声と乱れた髪が丁度ピッタリ。一瞬恐くて・・ジット見る。何事あったかと慌てて彼女が窓を開け、聞けば、車を片側にきちんと並べて駐車しなだって・・。なんだー・・、びっくりしたなあ、もう・・・。胸を撫でて時計を 見ればま~だ未明の3時半、他の車もやられてる。も少し寝させて・・、眠れない~・・、もう少し寝なきゃ~・・。うつらうつら・・。いっそのこと出掛けちまおう・・
 ざわめきでボ-っと目が覚める。無理に押し込む食事かな。小鳥の声でも期待していると突然再び山ん婆の、大きな声が辺りに響く。宿の高いベランダから先行パ-ティに声が飛ぶ「登山届けを書いて行けー」。後から来た車にも、「片側にきちんと並べて!」。どうみても、高い木のてっぺんでモズが見張って鳴いている縄張り主張の鳴き方だ。ギジギジギジギー!、ギジギジギジジー!。もう、どうにかして欲しい~~!。

 今日は辛い山登り、やっぱり彼女の調子が出ない。時々花を見つけては気をそらせ、話しをしては気をそらし、コメツガなどの針葉樹林帯の急登を詰めて行く。林床の花といえば、ノリウツギ、センジュガンピ、ヤマブキショウマなどで、レンゲショウマの蕾も目立つ。チタケも期待したが下の方で三つ見付けただけで、登山道から離れていたし痛んでいたようなので採らずに過ぎた。今日の昼食はうどんの予定なのでその出汁にと思っていたがすごく残念だ。林の中は日光を遮ってくれるので良いが、風は殆ど当らず蒸し熱い。ようやく林の木々を通して空が見えるようになってきて、山頂が近づいたことを感じる。間もなく小高い丘のような所に出た。そこの一角に燕頭山という標識が立っている。そういえば、針ノ木岳から蓮華岳へ行く予定を、出駆けの天気予報により急遽ここに変更したため、この山をあまりよく調べていない。ここで地図を広げ今後の作戦を練る。ここからはなだらかな尾根と書いてあるし、彼女も眠気が覚めたようで元気になってきた。そして、この調子だと今日中に三山を歩けるかも知れないとさえ言う。よしっ!とばかり重いザックに手を掛ける。

 なるほどなだらかな尾根である。時折薬師岳や観音岳が見え隠れしている。それから少し行くと樹林の切れ間から右手前方に甲斐駒ヶ岳が見えてくるし、更に、右方向には八ヶ岳の勇姿が雲の上に見えている。足元には先程から目立っているセリバシオガマの群生があり、樹林帯にしては珍しくヨツバシオガマとハクサンオミナエシが、これまた結構咲いていた。鳳凰小屋に近づく頃、左方向の針葉樹の切れ間から青い富士山がなだらかな大きな裾野を広げているのが見えた。
 道は小屋の前に通じていて、そこには一目で小屋の主人と判る60歳位の男がバンダナをかぶって椅子に座っていた。「すみませ-ん、今夜お世話になりたいんですが?」と彼女が言うと、「じゃあ、先に受付けしておきますか?今日は最高にいい日ですよ、今からなら三山往復出来ると思いますね」と言いながら小屋の中に入り受付けをしてくれた。見ると時計は丁度9時55分であり、私達は今日一番目の客となった。案内されたのは新館の2階の2段ベッドの上の段の端であったが、彼女のおねだりで下の段に変更してくれた。一番目の客の特権かも知れない。

 不要な荷物を少し枕もとに置いて出かける。小屋の主人は、観音岳から薬師岳へ行って時間があったら地蔵岳へ廻れば良いと教えてくれたが、道を間違えて地蔵岳へ向いてしまった。しかし、この登りの最後の急登はなんてきついんだ。後ろからギラギラ太陽をまともに受け、砂丘をずるずる後退しながら登っているようなものだ。下からも反射熱があぶり出す。たまんね~な、もう。二度と登りには使いたくね~。しかし、登ってしまっていっぱい並んでいる地蔵などどうでもよくなり、更なる目標に向かって歩き出す。オベリスクの突端に登ると決め、登り口を探しながら直下まで行って見ると、二つの岩の合わせに目にクサリがぶら下がっているが、足掛かりになりそうなものは無さそうで、腕力に自信のない小生はあっさり退散することにした。色男?、金と力は無かりけり

地蔵岳オベリスク

 アカヌケ沢の頭には10分位で着く。そこは北岳から甲斐駒ヶ岳、地蔵岳、これから行く観音岳などの展望が良い。丁度良い木陰を見つけここで昼食とする。昼食は大好きなうどんである。食べ終わる頃、隣で食事をしていた先着の五人パーティから、なんとメロンが一切れづつ届いた。突然、「よかったらどうぞ」って。タイミングも絶妙だし、これがまた甘いのなんのって挨拶しただけなのにもうすっかり気を許した彼女、お礼はお誉めの言葉とすっぱいカリカリうめ。メロンの後ではきっと効く。
 彼らよりちょっと遅れて観音岳に向かう。彼らは広河原から来て山で一泊の予定だったが、小屋が混みそうなので今日中に夜叉神峠へ下り、そこで泊まると言っていた。流石に足は早く、もう観音岳の中腹を上っている。

観音岳

 観音岳の頂上に着くとあの五人連れがまだ岩のてっぺんでくつろいでいた。私達がひいこら上って来るのをきっとにやにや見てたに違いない。しかし、到着の挨拶をしてメロンのお礼を言うと、今度は御苦労さんとばかり梨を切って一切れづつくれた。これがまた甘い。もったいないから皮ごとほうばる。うまーい、あまーいとまたまた誉め称える彼女。双方共一緒に行こうかなどと冗談 薬師岳へは30分位の行程であるがなだらかな尾根である。正面に薬師岳を見て、その奥に大きな裾野を広げたブル-の富士山を眺めながら下り、緩やかに登り返すと薬師岳の頂上である。ここにまたあの五人連れがいた。「今度は何があるのかなー」と彼女が言うと、「食べちまってね-、もうない」「え~、私達が来ないうちに急いで食べちゃったんでしょう」「そう、うまかったよ~」だって。彼女が話しをしている間に吾 
輩は富士山にカメラを向けて神経集中、ようやくシャッターを切る。今度は二人の
写真のシャッターを切るのを頼み、又彼らにも頼まれた。
そろそろ帰ろうかと思い始めた時、五人連れの一人が「ど-れ、では、残りの、また食べようか」とザックを探る。取出したのは一つの梨で、ナイフでうまく等分に切り始めた。当然私達の分までありそうだ。彼女が「わ-、すご-い、まだあったの~」などと言っているうち、「どうぞ」と一切れづつくれた。はずみで近くにいた別の夫婦にも一切れの半分づつが届けられた。ほんの短い時間であったが楽しい一時を過ごすことが出来た。ここでお互い反対方向へ別れることになったが、「何処かの山でまた会いましょう」と、何時果せるか判らない言葉を交わし薬師岳を後にした。あま~いメロンや梨を、ほんとうに有難う。


薬師岳

 小屋に戻ると、小屋の廻りで大勢の人達がくつろいでいる。酒を飲んだり何かを食べたり、会話が弾んでいる。ほとんどが中高年と見受けられ、大きなパーティもあるようだ。小屋の周辺は人が溢れ座る席はもちろんなく、私達は小屋から見えるすぐ近くの沢で、持参したビ-ルとウィスキ-を冷やし二人だけの乾杯をすることにした。上部の樹間から雪渓の残りが少しあるのが見えるだけあって、ビ-ルはたちまち冷えた。沢の水で汗にまみれた体を拭い、冷たいビ-ルを一気に飲んだ。時計は未だ4時を少し廻ったところである。原始の時代に戻ったような、なんとゆったりした時を過せるのだろう。

 小屋が夕食になる頃小屋の廻りのベンチが空いた。私達はそこに移動すると、単独の二人の男と酒を飲みながら山の話に時を忘れた。彼女は3度目の食事にあり付けるように並んで待つと小屋に入った。しばらく経って彼女からお呼びが掛かり、小屋に入ると彼女は別の5人位のパ-ティとにぎやかにはしゃいでいる。お陰で我輩まで冷やかしの言葉が突然飛んで来て面食らった。この小屋に連泊でやって来たという楽しそうな連中である。夕食はカレ-ライスでおかわり自由、これがまた旨くご飯も良く炊けている。みんな喜んでおかわりしていた。
 2帖に3人程度でふかふかのふとんは気持ち良く、またいびきや寝言のひどい人もいなかったのでぐっすり寝ることができた。

 朝食を外のベンチで済ませ、主人に挨拶して下山にかかる。燕頭山辺りまで来ると晴れていた空に雲が多くなり出し、更に下ると山は全てガスの中に隠れてしまった。針葉樹林内の道は何時もながら長く感じる。御座石鉱泉の屋根が見えた時はさすがにほっとし もちろんこの鉱泉で汗を流して帰るのだが、駐車場付近に咲いている小さなナデシコに気付き、その名前をおかみさんに聞いた。
あれはねシナノナデシコって言うのよ、みなさんは私のことね、ヤマトナデシコって言うの、ほっほっほっほ
あっはっはっは・・そうですか-・・はっはっは」。
昨日の明け方はよー、「山ん婆」そのものだったのによ~、もしかして・・変身け~?。




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