思い出の山行(飯豊山)2002年6月14日夜行~15,16日

ブログを初めて10年

 ブログを読んで下さってる皆様に感謝です。本当にありがとうございます。

2012年6月に初めてブログを書き始めました。日記代りに歩いて来た山や日常の事を忘れないように書き留めておこうとしたのが最初のはじまりでした。ブログを書き始めてから今年で10年になります。拙いブログに沢山のコメントを頂いたり、ブログで知り合った方と嬉しいバッタリがあったりと10年があっという間に過ぎました。その間にセの病気やら孫の事やら色々な事があったが今こうして元気に山を歩けている事に感謝し、山仲間から元気をもらいブログを書ける喜びをしみじみと感じています。ブログを始める前はどんな歩きをしていたのか?セとナが心から山に行きたい!と思わせてくれたのが飯豊山でした。飯豊山には色んな思い出があります。今から20年前の6月に仲間と歩いた飯豊山の思い出を記録に書き留めておくことにしました。当時の写真はまだフィルムであった為、殆どの写真は終活だと言いながら随分前に処分してしまったが残っていた何枚かを撮りなおしてみました。

 
今から20年前の飯豊山山行 2002年6月14日夜行、15日本山小屋泊~16日
    (セの記録)

 飯豊山、私はこの山を訪れるのに梅雨真っ只中のこの時期にこだわっている。それは、一言で言えば残雪と花、まさしくその時なのである。ガスを巻いた頂きから真っ白い布を裾に幾筋も流したような残雪の、神々しい巨大な峰々に向かって畝々と続く登山道、その傍らを飾り付けている小さな可愛い花達、それはあたかも天国への道と化す。
 第2日目の登りの日の天気予報は朝まで雨が残りその後曇りとなる。第3日目の下りの日は曇りで、この時期としてはまずまずであろう。6人編成で夜行で出かけることにした。川入のキャンプ場に着くと、夜中の11時半を廻っていたが登山届記載所の小屋には明りが灯っていた。人の影が見えたので中を覗くと中年の男が二人酒を飲んでいた。そのうちの一人は髪の毛の長い無精髭を生やしたむさ苦しい男であった。6帖位はある。よし、ここに寝られればテントは張らなくても良い、今夜から明日朝にかけて雨の予報もある。私はとっさに、「一緒に寝させて貰ってもですか?と頼んだ。何人?」「6人なんだけど」「うーん、ちょっと狭いな-?」「じゃあ、土間で寝させてもらってもいいかな、テント張るよりはいいんで」。すると彼らは少し考え、「いいけどー、じゃー、ここに寝てもいいよ。我々が土間に寝るから」と言う。「いや、それは悪いから、いいですよ、土間でと断り、私はすぐに仲間を呼びに車に戻った。少し経って仲間と一緒に小屋に入りテ-ブルなど片隅に寄せようとしていると、彼らはさっさと引っ越し始め、上で寝なと言う。もう私は断らなかった。皆も一緒にお礼を言い、彼女は車の中から余った缶ビールを2本持って来て上げた。聞くと二人は沢登りを主にやっていると言う。なるほどそれなら土間に寝るのは苦にならない、よかったと思った。
 2日目の朝、外に出ると雨を覚悟していた私達にとって思いがけない曇り空、誰かが、「儲けもんだなあ」とつぶやく。眠い目を擦りながら粛々と支度を整え予定より若干遅れの出発。辺りはひんやりとして朝もやが立ちこめている。林道を少し歩くと登山口である。そこには樹齢数百年の数本の大杉が立っていて、その元には石の祠がある。そこの前に一人が賽銭を置くとそれに便乗して皆も頭を下げた。さあ、いよいよこれからだ、身が引き締まる。大山氏が先頭を受け持ち私が最後尾に付く。じっとしていても濡れてきそうな高湿度と、うるさい大量のブヨみたいな虫、始めのうちは払いながら我慢していたが私と彼女はたまらず虫除けを塗る。皆にも勧めたがいらないと言う。なんだ、みんなは慣れてるんだ、と思った。それが正解だったのかどうか、そのために油断した私は、下山後数えた虫刺されの跡は両腕に9箇所、額から耳に4箇所、足に2箇所、それにおいしい脂肪分たっぷりのお腹に2箇所。かゆくてかゆくて、その後遺症はその後1週間も続いた。その掻き壊した所の一部分は硬く黒くなって跡になりそう・・・。
 さて、道は段差が大きく登れない人は帰るしかない短足帰しに、デブは通れず帰るしかない狭い切り通しの道、デブ帰し、これらが次々に現れ、先頭はルートの選択に気を使っている。ようやく笹平に着くと皆一様にほっとする。横峰小屋跡まで行って休憩することになった。
 ここからは鬱蒼とした樹林から開放され明るい樹林の中の道となる。勾配も緩くなりみんなの声も弾んでくる。小白布沢方面からの登山道が合流する辺りにタムシバの花がいっぱい咲いていたムラサキヤシオの花も咲いている。この分だとに宣伝しておいたヒメサユリの花が咲いているかどうか心配になる。味噌煮を作る予定のタケノコも未だ出ていない。かなりガッカリ。ラ-メンに入れるコシアブラだけは豊富にあり少し採った。何時の間にか峰秀水の水場に着く。じっとり濡れるような高湿度の中の登りに、たっぷり流した汗。美味しい水にかぶりつくように喉を潤し、休憩しながら切合小屋までの水を水筒に満たした。
 地蔵山分れには今開いたばかりのような瑞々しいシラネアオイが咲いていて、それとなく深山に踏みいれた事を自覚させる。そしてそれに仲間は喜び、更なる花の山への期待を持たせた。辺りがいくぶん明るく開けてくると、そこから剣ヶ峰の始まりである。いつもならこの岩場からヒメサユリの花が現れてくる筈だ。しかし、ない。やっぱりだめかと溜め息をつきながら見渡すと、傍らの草陰に蕾を発見。「おっ!、蕾だ、そこに、」先行する仲間に知らせると、更に前を行く彼女が「っ!、咲いてる!」と弾んた。みんなでどれどれと覗き込み、ある者は写真を撮る。しかし、それだけかも知れないと思いつつ行くと、さにあらず花は次々と現れてくれた。蕾がほとんどだったが、花は咲き始めの方が良いからと言うと、皆も納得して喜んでいた。



 種播山には豊富な残雪が雪渓となって沢に続いている。雪渓の終り、ネマガリタケの原との境に高低差5m位、45度位の急勾配の部分があり、それを下った所に夏道が続いている。これを直接下るのは危険なので少し谷側へ下り巻くようにトラバースすることになった。それでも35度位の雪渓のトラバ-スは20m前後となろうか。しかし、仮に滑ったにしても雪渓は弧を描くように緩やかになって行き岩等の危険物はない。30mも滑れば止まるだろう、そう判断しアイゼンは着けなかった。皆のトラバースの場面を写真に収めようと準備していると、「あっ!」と誰かが言う。見ると彼女が滑り落ちて行く。尻スキーのように下る方向を向き、ザックが下になり時々足が浮く。止めようとすると足が浮く。バランスを崩そうとすると立ち直る。30m位滑り、勾配が緩くなってようやく止まる。やれやれと思った途端また一人滑り落ちる。これは体勢を立て直す事が出来半分位の所で止まった。


種蒔山の標柱で記念写真を撮ろうとしてズボッと踏み抜きする大山会長


 雪渓を越え、夏道を進み坂を下ると種蒔山分れの分岐である。そこで、先ず水を探す。去年は御坪方面へ10m位行った所でホースから水が出ていてラッキーだった。しかし、今年はホースは小屋の方まで長く延びていたが水は未だ出されていない。とりあえず切合小屋へ行き昼食とすることにする。切合小屋から見る限り、何時もなら一部分口が開いて水が勢い良く流れている北側の沢は、雪に覆われ全くその気配はない。下山して来た人に水場の様子を訊ねると水は何処にもないと言う。ならば、今夜は雪を解かして凌ぐしかない、そんな事が頭を過る。「よしっ、みんな休んでいてくれ、水を探して来るから」と言って、サブザックにタンクとアイゼンを入れ出かけた。目指すは北側の沢で、もっと下ればきっと何処かに水が現れているに違いない。草履塚方面へ行き、草履塚雪渓へ出てそこから勾配の緩やかな部分を下る。良いあんばいアイゼン無しで下れる所があった。雪渓の反対斜面は南向きのためネマガリタケが現れており、その境目辺りに注意深く目を配りながら下る。立止まり良く見た時、その笹藪に一筋の踏み跡のような線があった。沢のバイパスかも知れない、それなら水が流れている可能性がある。はやる気持を押さえて雪渓を更に下る。近付くと水の音がだんだん聞こえてきた。「あった~」思わず声をあげた。合流地点のそこには、新鮮な水が本流側の雪の下から勢い良く流れ出て、再び雪渓の下へと流れ込んでいた。わずか2メートル位の区間であった。
 とりあえず3リットルの水を背負って小屋に戻り、「みんなボトル出してくれ、水あったんで汲んでくるから」と言うと、元気な男二人が、種蒔き山の滑り落ちた雪渓の所まで融雪水を汲みに行ったと言う。雪渓を下るのは危険だからという事だったらしい。ともあれ水は確保した。
 草履塚の雪渓は途切れることなく山頂へ続いている。途中から怪しくなってきた雲に加え、ガスが覆い始め見通しも効かなくなって来た。視界は5、6メートル位か、見失わないないように間隔を狭め、夏道に入る所を見過ごさないようにと声を掛ける。一本の赤旗が立ててあった。方向を確認、このまま進めばネマガリタケが現れ、その堺を忠実に辿ればネマガリタケの中へ入って行く夏道に出会う筈である。少し行くとそれはすぐに見つかった。その時、何時降るかと心配されていた雨が、構える間もなく突然バタバタという音と共に降出し、慌てて雨具を着けた。


 草履塚の先の北峰にヒナウスユキソウの群落があり、雨とガスの中で風に震えながらも見事に咲いている。イワウメも小さい葉に似合わない大きな花を天に向け、短い季節を少しでも多く花開こうとそのまま冷たい雨を受けている。そこを過ぎた辺りから雨は止みガスも薄れる。路傍に次々に現れるオヤマノエンドウミヤマキンバイハクサンイチゲ等のお花畑、それらを見ながら姥権現、御秘所を過ぎた。



 御前坂まで来るとそれを見上げた途端、誰も忘れていた疲れがどっと来る。心配されていた一人の疲れが特にひどい。もう限界に近いとみるや仲間が交互にザックを背負い励ましながらゆっくり登る。こうなるとなかなか遠いニの王子、やっとの思いで辿り着く。
 というわけで今日の飯豊本山往復は中止して明朝行くことにし、本山小屋に潜り込む。小屋には人の気配が全くなかった。貸し切り状態で、無造作に荷物を置くと直に輪になり夕飯と宴会の始まりである。先ずはビールで乾杯、つまみは豊富で見ただけでも食べ切れない、よくも持って来たものだ。酒もある。ウィスキーはボトルのまま持って来た者もいる。夕食はラーメンとうどん、パンなどである。うまいと言いながら350ミリリットル缶ビールを一気に飲み干した彼女、普通はコップ一杯位しか飲めないのに余程うまかったのだろう。更に梅酒を一飲み。しかし、その後が大変、直に顔が真っ赤っか、目は虚ろ、とうとう目が回った彼女、私は介抱しながらの宴会となった。
 酒で勢いが出始めた頃、一人の男が小屋に入って来た。一人では寂しいだろうからと勝手に決め付け、一番元気の良い仲間が呼びに行きむりやり連れて来た。その男を加えて更に盛り上がる。その内夕食も食べ終わり、一人、また一人と脱落、しかし脱落したくても脱落出来ない招待客、最後の三人になるまで付合うことになったらしい。その大きな声を聞きながらいつしか眠る。
 翌朝、なんとあれだけあった酒が殆どない。一番遅くまで元気だった人も、彼女も皆も知らん顔して平然としている。二日酔いになった者はいなくほっとした。朝飯前に飯豊本山に出発、途中で雲の切れ間からちょっとだけの御来光を拝み間もなく山頂に着く。初めてこの山頂を踏む三人、はたして何を思っているのだろうか。畝々と続く豊富な残雪の主稜線が見える。大日岳も、ダイグラ尾根も、そして薄日も射して、この時期にあっては最高の贈り物だ。だが、風が強く、冷えて長くはいられない、記念写真を撮って草々に小屋まで戻る。

寒かった飯豊山山頂

 朝食を済ませ、小屋を出て楽しい下山。その頃太陽もまぶしく照りだし、お花畑も、残雪を抱いた峰々も、昨日とは又違った雰囲気を醸し出す。写真を撮りながらの稜線漫歩、疲れも忘れてこれぞ山歩きの醍醐味。






草履塚の雪渓へ来た時、昨日の登りでガスのため探せなかった水があるかどうか、今後の確認のため私だけコースを外す。あった。一人位入れる小さく開いた雪の穴に、空の光をちらつかせ透き通る水が流れていた。皆を呼び、冷たい水を飲み、水筒の水を入れ替える。後はもう下るだけ、種蒔山で、三国岳で振返り、山に向って誰も遠くなって行くのを感じている。雲は多くなってきたがもう大丈夫だろう。
 横峰小屋跡で昼食とした。それから大分下り、残り一時間位まで来た時、心配された一人がまた崩れるように前にのめり手を着く。足が大分参っている。それからは荷物を分け合い、本人はバックで下りた。しかし、時間は掛ったものの無事下山、事なきを得る。
 さあ、それからはいいでの湯でニ日分の垢を落とし、ビールで乾杯、そばを注文、久しぶりのご馳走だ。遅れて湯から上がって来た彼女が、そばを食うなら宮古と聞いて来た。「じゃあ、そっちも行ってみるかー」と誰かが言う。何と前代未聞のそばのはしごとなった。後で聞いた話だが、山で参って荷物を持って貰った人が、実はそばが嫌いだったそうで、しかしその時は何も言わずに一緒ににこにこ食べていた。何も知らない私達は実に気の毒な事をした・・・・
 
 これから先も楽しい山歩きが出来、楽しいブログが書けるように毎日元気に過ごしたいと思っています。

   これからもどうぞよろしくお願い致します。



14 件のコメント :

  1. こんにちは。
    そーなんですよね。こちへ行くと、蕎麦自慢なんですよね。
    山都だ宮古だと日本一のそばだと。
    米が作れないからソバを作り、他所の食べたとき無いからだと思うんだけどね。
    私も蕎麦好きですが、幼少期は米屋だったんで製麺機械が有り乾麺ですが蕎麦やうどんを作って売ってました。
    今夜はご飯が無いから『ソバでも良い』なんて会話で食べてたような気がするのは、私だけなのでしょうか?。

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    1. 石川@さん、こんにちは。
      え~蕎麦やうどんを作っていたんですか?
      羨ましい幼少期だったなとセが申しております。
      セは三食麺でも良い位麺類が大・大好きなんです。
      でも家では中々ありつけないので外食の時に食べてます(笑)
      汁がうまく出来ません(^^;

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  2. ブログ開設10周年おめでとうございます。ご夫婦での山登り羨ましい限りです。
    20年前の飯豊山行のお写真、お二人ともお若くて、遠目にはまるで恋人同士のように見えますよ。
    これからもお互いに健康に気を付けて、無理せず長く登山を楽しみましょう。私も「せとな」さんに続けとブログアップ頑張ります。

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    1. 楽山紀行さん、おはようございます。
      ありがとうございます。
      あっという間の10年でした。
      20年前は若くて遠目には恋人同士(笑) 
      最近は遠目でも正面写真に耐えられずかろうじて後姿だけが・・・
      これも時間の問題かな(^^ゞ
      楽山紀行さんのブログ楽しみにしています♪

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  3. ブログ10周年、おめでとうございます🎉
    20年前の飯豊山山行記録、まるで山岳小説を読んでいる様な素晴らしい日記ですね。
    自分にとっての飯豊山は未だに憧れの存在。
    出来ればあの稜線を歩きてみたいけど、遠くから眺めるだけでも幸せな気持ちになれます。

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    1. リンゴさん、こんにちは。
      山岳小説を読んでるような・・・セが嬉しそうに照れてます(笑)
      飯豊には色んな思い出があって当時の記録を読み返しながら
      又行きたい気持ちが湧いてきていますが・・・
      病気したりコロナ禍で行けずにいるうちに体力が~ね。
      若いリンゴさんだから飯豊に行く機会はありますよ。
      若さが羨ましい(^^;

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  4. ぶなじろう2022年6月3日 16:53

    こんにちは。
    せとなさんが、飯豊連峰に思い入れがあるのはこれまでの記事から感じていました。チョットいつもと違う文体からも飯豊への思いが伝わってきましたよ。6月がいいのですね。花の時期なんですね。

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    1. ぶなじろうさん、こんにちは。
      本格的に山に向き合ったのが飯豊山でした。
      花と残雪と口笛吹きたくなるような稜線を歩いた時
      たちまち飯豊山の虜になってしまいました(^^ゞ
      もう一度あの素晴らしい稜線歩きをしたいですね。
      そしてやっぱり6月の花の季節が一番ですね。

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  5. のんびり夫婦の山遊び2022年6月5日 15:58

    せとなさん、こんにちは!
    ブログ10周年、おめでとうございます。何時も山情報有難う
    ございます~これからもよろしくお願いします。
    飯豊は行けそうにありませんが、花とシャチ模様の眺めが楽し
    めるのは素晴らしいですね。
    実は昨日(4日・土曜日)、高山から小田代原を歩き、お蔭様
    でヤマシャクヤクに出逢うことができました。初見でしたので、
    嬉しかったです。

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    1. のんびり夫婦の山遊びさん、おはようございます。
      ありがとうございます。
      あっという間に10年が過ぎてしまいました。
      早いですね~
      これからの先の人生、一日一日を楽しんでもちろん山(笑)
      ヤマシャクヤク初見でしたか?
      間に合って良かったですね。
      途中まで行ったのですが見ずに戻ってきてしまいました😢

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  6. yamasanpoです。
    ブログ、継続は力なりですね。
    後々に見返すと当時のことを思い起しこれからもと励みになります。
    自分も細々とでも続けていければと思ってます。

    飯豊山、自分も何度か歩いてますが良い思い出ばかりです。
    奥深い山で簡単には登り着けませんがそれだけに価値ある山ですね
    今では遠い山となりつつありますがいつかまたと夢みてます。

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    1. yamasanpoさん、こんにちは。
      恥ずかしいブログですがいつも読んで頂いて嬉しいです。
      温かいコメントありがとうございます。励みになります。
      飯豊山は本格的に山を始めた最初の山でした。
      怖い思いも何度かしましたが今思うと楽しい思い出ばかりです。
      もう一度と思いますが・・・行きたいですよね。

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  7. hutatuyanosiki2022年6月6日 20:32

    改めまして、ブログ開設十周年、おめでとうございます‼
    ブログって、皆さんへの山行報告になるのは勿論ですが、自分自身への足跡を記す、大事な記録になりますよね。
    10年という時は、長いようであっという間ですね。
    これからも末永くブロ友、そして、山の大先輩でいていただけたら嬉しい限りです。
    今度は二十周年に向けて、頑張ってくださいね!

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    1. hutatuyanosikiさん、こんにちは。
      ありがとうございます。
      ブログを書いていなければ何をして10年過ごして来たのか・・
      それ程あっという間でした(^-^;
      どう考えても20年は無理ですよ(笑)
      でも出来る限り続けたいな~と思っています。
      若い力をおすそわけして下さいね(笑)

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