ブログを始まる前の思い出の大朝日岳(1996年)

 歩いた日 1996年(平成8年)10月4日~6日)

 避難小屋で過ごした一夜は楽しい思い出ばかりである。
特に大朝日岳山行でお世話になった避難小屋での夜は忘れられない事ばかりだ。

今は亡き竜門小屋の遠藤さんがK2に登る前にお世話になった時はK2の話しに夢中になりついつい飲み過ぎてしまい次の朝がつらくて中々起きられなかった。一時期ナの故郷に住んでいた事がわかり寝るのも忘れるほど盛り上がった夜もあった

何度もお世話になった大朝日小屋の大場さん佐藤さんと一緒に過ごした夜は寝るのも惜しい位楽しい話に聞き入ってやっぱり次の日起きるのが辛かったっけ。
2024年6月28日、冷たい雨が降っている。次の山行を考えながら久しぶりに昔の記録を読み返してみる。その内の一つを思い出としてブログに残しておこうと思った。残りはおいおいと・・・()

🍁🍁🍁

この山行に命の次に大事なカメラを忘れたとセ😢
もう命の次に大事なのはナでしょうよ~()
途中でインスタントカメラを買って(懐かしいね~インスタントカメラ、今もあるのかな~)何とか写真を撮ることは出来たのだったが…
そんな時に限って皮肉にも最高の紅葉が待っていたのであった🍁

途中で買ったインスタントカメラで撮った写真・・・ナの腕が良かったせいか思いのほか良い写真が撮れて大満足のナではあったが・・・セはカメラを忘れた事を暫く嘆いていた。

小朝日岳山頂からガスの中に大朝日岳(カメラで撮りなおした写真である)

ここからはセの記録文

日暮沢小屋に着いたのは午後四時であった。友人岡野氏と私達夫婦の三人である。彼は大の酒好きでここに来るまでに車の中で一升瓶を、山で言うなら七合目まで登り詰め、更に小屋で宴会を開いた。
そして私が良い気持ちとなったところで寝る事になった。
 
 寝てから少し経った頃、小屋が震えるような大きな音に目が覚めた。月明りのためか微妙に明るい室内を寝ぼけ眼で見渡すと、音の発生源はなんと友人岡野氏の腹であった。
普通の人の倍程の腹が上を向いていて大きく上下し、音はその度口から放出され、そのまま天井にぶつかり、床に跳ね返り、壁にぶち当たった。こんないびきは初めてだったので、びっくりしたり感心したりしていたが、一向に弱まる気配のないいびきに眠れず、どの位時間が経っただろうか、寝なくてはという焦りを覚えた。隣の彼女も同じようで細かく寝返りを打っていた。我々の他に学生位の男の登山者が一人同宿しているが、同じような気配を感じた。

いくらかうつらうつらした頃、今度はバタンという音がした。彼が外に出たらしい。彼は何度かトイレに起きる癖があると言っていたが、その第一回目だろうか。これから静かになり今度こそ眠れるだろうと思っていると、すぐに戻って来て、シェラフに潜ったかと思うと、すぐあの騒々しさが戻って来た。一晩中大いびきに洗脳されたせいか、モヤってる頭の中に彼女の声が聞こえるような気がした。だんだんはっきりしてきて目が覚める。
見ると、「朝だよ、もう大勢登って行ったよ、早く行こうよ」と言いながら身仕度をしていた。彼女はとうとう眠れず車の中に引っ越しそこで少し寝たと言う。同泊の大学生らしき男の子は未だ寝ていたが、気の毒に、今日はもう本当に起きられないかも知れないと心配になる。本人は全く何も知らず天下太平、良く寝たと言うような顔をしていた。

 朝食は途中でという事にしてバナナを一本食べ、薄暗い中をヘッドランプを灯して出発したが、途中しばらくの間はいびきの話しで終始した。
彼女は「バタンという音がして、外に出たすきに寝ようとしたんだけどね、帰って来るのが早くて~、寝たかなと思うとすぐに又いびきが始まるもんだから、もう~焦っちゃって~、とうとう眠れなかった~。明け方、車に引っ越したんだけどねー、遅かった~。もう少し早く気が付けばな~」とぼやくと、彼は、「そーか、それは大変だったなー、あっはっはっはー」と他人事である。

 ハナヌキ峰への急登で、彼の汗は帽子のつばを伝って雨垂れのように流れ落ちていた。その途中で彼は「腹へった、飯にしようよ」と言ったが、「もう少しだ、この急坂を登り終えた所にしよう」と我慢してもらう事にする。それから少し行くと、今度は「腹が痛てえー」と言い出した。トイレでもなさそうだし、しかたなく急坂の木の根に腰を下ろし、休みながら様子をみる事にした。その内だんだん落着いてきたようで、すると彼は思い付いたようにおにぎりを一つ取出し、またたく間にぺろりと平らげた。
呆気にとられ見ていると、「あれっ腹がおさまったよ。じゃあ行こうか
そこからハナヌキ峰へはほんの僅かで到着、そこで私達は朝食とした。
さっき食べたばかりの彼は、今度はラ-メンを煮て食べると言う。そしてその間彼は、終始ほてい様のようにニコニコのご機嫌だった。この時初めて、空腹の限度を越えると彼の腹は痛くなりストライキを起すことを知った。



 小寺山山頂辺りから展望が開けてくると、小朝日岳から大朝日岳方面にかけての前方に薄赤く紅葉しているのが確認出来た。この山に来る時期に間違いがなかった事を確信し、これから先の山行に期待が高まる。そこから小朝日岳へはあまり時間を要さなかった。山頂に着いて早速ザックを下ろし、休憩しながら周りを眺めると、鳥原山方面の尾根も、大朝日岳への主稜線も、足元から遠く霞んで見えなくなるまで、燃え上がるような紅葉が広がっていた。
うわーっ、きれいだ-」「すっげ-」とか私達は思わず歓声を上げる。
少し眺めていると後から同年配のにぎやかな五、六人のグル-プがやって来て、一番のポイントを教えてくれると言う。もちろん私達は二つ返事で同行する事にした。
少し下ったそこからは大朝日岳方面や竜門山方面の眺めが良く、特に小朝日岳北側斜面の紅葉は、ナナカマドの目も醒めるような真っ赤な紅葉と灌木の明るい黄葉がハイマツのグリーンの中に浮いていて、その中に盆栽のようなダケカンバの白い幹が点在し、あるいは寄植えのごとく配置されていた。軽妙なおしゃべりで説明してくれた女の人とそのグループは、朝日町山岳会の皆さんで、今年の紅葉は十年に一度あるかないかの素晴らしいものだと言い、また、ここから見る紅葉が日本紅葉百選にも選ばれていると教えてくれた。



 彼らはここの紅葉を見に来ただけだと言うのでそこで別れたが、後で、今後の山行の情報を聞くために連絡先を教えてもらえばよかったと後悔した。後悔と言えばもう一つある。カメラを忘れて来たのである。これは友人岡野氏に、「誰かさんが酒好きなんでよ~・・、酒ばかりが気になって調達してたんで~・・、そのためなんだよな~」とぼやきながら責任転化、うっぷんを晴らす。彼は「そんなのってあるかよ~」と言うから、「大ありだ、一人だったらこんな事はまずない」と・・・やけに撮りたい所ばかりが目に付いた。

小朝日岳の斜面


大朝日岳への稜線

 銀玉水で冷たい水を飲み、そこの岩の上で昼食を食べながら、ガスの切れ間や雲の切れ間から差し込む光線に浮き立つ紅葉を心ゆくまで堪能した。しばらく休んだ後に出発、急坂を登り今夜の宿の大朝日小屋に到着する。丁度一時半であった。

 出発の数日前、私達の山の先生である正木さんに大朝日岳に行くと連絡したら、「先日、大朝日小屋で世話になった管理人の佐藤さんに有り難うと伝えてくれ」と頼まれた。忘れない内に伝言を伝えようと管理人らしき人に「佐藤さんですか?」と訪ねると、「その人なら後からキノコを採って登って来る事になってる」と言う。きっときのこ採りの名人で、マイタケなどをカゴにいっぱい入れて登って来るに違いないと思った。日が暮れる迄にはたっぷり時間があり、一人で外に出て散策しながら金玉水の方まで足を延ばしてみた。

途中、おそらく霜にも耐えたであろう紫色のかわいいマツムシソウが、たった一輪だけ天を仰いで咲き残っていた。その時ふと一緒に来ている彼女の事が頭を過る。
こんなに美しいかどうかは別として、我が家を一人で明るくしている「うちのかあちゃん」みたいだと。

 だんだんガスが湧いてきて風も強くなり寒くなりだしたので小屋に戻ると、二人の男がキノコの山を整理していた。一人は先程の管理人でもう一人がどうやら佐藤さんのようだった「すごいキノコですね、何のキノコですか」と言って見せて貰うと、ほとんどがクリタケとかナラタケやクリフウセンタケなど見慣れたキノコでマイタケはなかった。だが、丁度食べ頃の立派なものばかりで見るからに旨そうであった。
キノコの話しになると我々は夢中になってしまうので、忘れない内にと正木さんからの伝言を佐藤さんに伝えた。「お世話になりましたと言ってました」と言うと、「ああ、この前来た人ですね、きれいな女の人を案内して来た・・」と思いがけない返事が帰って来た。なるほど、正木さんは私達も案内してくれたけど、今でも結構楽しくやっているらしいとその姿を想像した。

 自分達の席に戻り、隣の人とキノコ談義など始めると、その人はなんとザックの中にキノコ採り用の折りたたみ式のカゴを忍ばせていて、採りながら来たと見せてくれた。
あまり採れなかったが、帰りにも少しは採れるだろうから少ないけど上げるよ」と分けてくれた。やはりナラタケとクリタケであった。

こうなると夕飯はもちろん得意のキノコラ-メンである。キノコラ-メンといってもただラーメンの中にきのこを千切って入れるだけの簡単なものだが、しかし、これでも私達にとっては大変なご馳走なのだ。
ありがとう」と言って早速準備にとり掛った。鍋に銀玉水の水を入れ、頂いたキノコのゴミを手で払い、土付きの部分をナイフで削って、「少し位のゴミはへっちゃら、栄養になっちゃう」と言いながらポイとコッヘルに放り込む。彼女得意の荒料理である。
すると何時の間にかそれを見ていた管理人さんが、「えっ!、それ食うの?、うわーすごーい!、そんなの食うの?・・、私等のキノコはねー、金玉水でザブザブ奇麗に洗ってきたよ~」と驚いて言う。
彼女は「もちろーん、私達は山では何時もこうだよ、ゴミも虫も毒じゃないもんねー」と我々に相づちを打たせる。

すると、「まっずそう・・、じゃーね、俺達の作ったきのこ汁味みさせてやろうか?・・、うっまいぞう~」ときた。
ええっ!ほんと~!、みる!、みさせて!」。彼女も私達も大喜び。管理人さんは部屋に戻ると大きな鍋を重そうに持って来た。それを見て皆びっくり、蓋が開くのももどかしそうに隣近所皆で鍋を覗き込み「すっご~い、うっまそう!」などと言いながら誰もがにっこにこ。すると「どれ、入物は?」と言って、彼女から順に周りの皆にも少しづつよそってくれた。願ってもない自然の恵みを私はじっくり味わって食べた。なるほど言うだけのことはあった。これらのキノコ自体には癖がないものばかりで、それらのキノコの出汁が程よく混じり合っていて、味噌加減も良い。脱帽の、本物のきのこ汁といったところだ。
こうなると只よばれもできない、私が持参した銘酒を取出し「一杯どうですか?」と言うと「いいねえ-」と言う。

それからが思いも寄らぬ宴会の始まりとなった。管理人は大場さんといい、話題も豊富で、飲んでいるとだんだん調子が出て来て、そこへ佐藤さんも加わり更に盛り上がって来た。佐藤さんは誰かが持って来た梅酒が大好きで、大場さんはカライ方が良いと言いながら私が持って来た銘酒がお気に入りで、彼女も勧め上手なものだから、私の分はもう当てにならなくなってきた。
七百ミリリットルあったが、私は一滴も飲む事なく大場さんのものと決め、そこで悠然と飲んでいた岡野氏のブランデーを分けて貰う事にした。
岡野氏はどさくさに紛れて、「もう一杯欲しいー」とキノコ汁を所望すると、「えー、ニ杯も食べちゃうの?、誰も一杯しか食べていないのに」と大場さん。すると、「だって、こんなに旨いの初めてなもんだから」と岡野氏が誉め称える。

そんな事でわいわい騒ぎながら楽しい一時を過した。その間大場さんは知ってか知らずか、後から来た登山者を皆二階に上げていたので一階は何となくゆったりしていたが、二階では「つめて、詰めて」と言っていた。
 その夜、又あの大いびきが多発していたのは言うまでもなく、朝起きて見ると隣の人は反対方向を向いていて、シェラフの中にもぐったまま起きようとはしなかった。おそらく計り知れない程の大きなダメ-ジを受けていたに違いなかった。私達は馴らされて来たが、しかし、この時から山行の必需品として耳栓を持ち歩くことになったのである。夕べの雨も上り、大朝日岳山頂からは雲海の上の穏やかな御来光を拝み、北に月山や鳥海山、南に飯豊連峰、東に蔵王と、浮かぶような山々を眺めることが出来た。



手前月山、左奥に鳥海山

飯豊連峰

お世話になった大朝日小屋

中岳より大朝日岳、金玉水の雪渓を振り返る

西朝日岳


竜門山より寒江山への稜線、一番右奥に以東岳


下山は竜門山を経由して日暮沢小屋へ戻るコ-スである。
素晴らしい紅葉の中の漫歩であった。

熊糞山(ユウフンザン)に向かう

熊糞山

熊糞山~清太岩山

清太岩山を下って行くと、やがて紅葉もこれからのブナ林の中に入って行く。大木のヒメコマツやブナやミズナラが次々と現れ、手入らずの自然を楽しませてくれた。何となく日暮沢小屋が近くなって来たのを感じる頃、急な坂道で他を圧するような特別大きなミズナラの木があった。枝だけでも二抱えもあろうかというようなものを曲りくねって四方に張りめぐらしている。

すっごいなー」と上を見ながら行くと、突然、私の視界から彼女が消えドドッというような音がした。はっとして目をやると、そこに彼女が座り込んでいた。てっきり転んだと思い「大丈夫か」と声を掛けたら、「め~っけ!」という言葉が帰ってきた。「えっ?、なに?」と言いながら近寄ると、彼女が目の前を指差しにこにこしている。「何だい?」と岡野氏と一緒に覗き込むと、なんとマイタケではないか。大きな根が重なり合っている間に丁度食べ頃の立派なやつがこんもりしている。「へえ~、すごいね~、だけど、よくもまあ誰にも見つからないでいたもんだ。昨日からあんなに大勢登って行ったのになあ~」と感心しきり。「まだ他にもあるだろう」と言いながら皆で周囲を探す。しかし、他には見つからなかった。



しばらくはそれを眺めて、「これは私のために出ていてくれたのね」と言って彼女が採ることになる。丁寧に採り上げると、何んともいえないマイタケの良い香りを皆で替る替る楽しんだ。それからはもう上を見て歩く者はいない。皆下を向いて歩き、大きな木があると振返って見ながら歩いた。早起きは三文の得と言うけれど、更に下を向いて歩けばそれ以上に得かも知れないと、今回の山行はヨ-ク教えてくれた。

 それから間もなくひっそりとたたずむ日暮沢小屋に到着、脇の水場の冷たい水で体の汗を拭い、車に積んで置いたビ-ルやジュースを冷やし、楽しかった山行の無事を祝って乾杯した。もちろん舞茸は岡野氏と半分ずつに分けて家へのお土産とした。

 この山行から何度も足を運んだ大朝日岳、だがこの時の紅葉には未だに巡り合っていない。

もう一度あの素晴らしい紅葉を見てみたいと思う今日この頃である




2 件のコメント :

  1. ぶなじろう2024年6月29日 19:18

    今晩は。
    カメラを忘れても素晴らしい写真が撮れたのですね。偶然にも同じくらいの年に私も初朝日連峰でした。日暮沢から反対廻りで竜門小屋に泊まりました。小屋番さんは、ボランティアの方で栃木の山岳会の人でした。遠藤さんなのかは分かりませんけれど。
    カメラ忘れは精神的にこたえますね。私はカメラ忘れではありませんが、屋久島初日にカメラが池ポチャで写真0となり、かなりこたえました。不帰の険ではカメラ故障でやっぱり写真0になってしまいました。
    この度の山行では、インスタントとはいえ、これでもかというほどの綺麗な紅葉写真が残せてほんとうによかったですね。

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    1. ぶなじろうさん、おはようございます。
      カメラの池ポチャや故障はショックですね。
      写真0は痛いですよね。
      栗駒山の紅葉の時に写真0を経験しました😢
      大朝日岳に向かう途中で気が付いたのでインスタントカメラを買う事が出来、写真を残すことが出来ました。
      意外とその方が良く撮れたりして(笑)
      ぶなじろうさんが泊まった時の小屋番さんは遠藤さんではないかも。
      暫く避難小屋泊まりをしてないので懐かしく思い出したりして
      体力あれば泊まりたいですね~

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