思い出の山行 平ヶ岳(20年前の7月)

 平ヶ岳登山記録 (写真はフイルム写真を撮りなおした)

コース
第Ⅰ日 自宅~檜枝岐~鷹ノ巣登山口  車中仮眠 
第2日 鷹ノ巣登山口~下台倉山~平ヶ岳~玉子石~鷹ノ巣登山口~自宅

標高差
鷹ノ巣より標高差 約1,300M 距離往復約24K
日時・2000年(平成12年)7月29日夜行車中泊~30日登山

鷹ノ巣登山口4:00➡途中朝食➡下台倉山6:20~25➡台倉清水7:20~30➡
白沢清水8:00~05➡沼ノ平(姫池)9:20~25➡山頂9:50~10:25(昼食)
たまご石11:05~15➡沼ノ平(姫池)11:40➡白沢清水12:25~40➡
台倉清水13:10~20➡下台倉山14:10~20➡途中水浴び➡鷹ノ巣登山口16:00

咲いていた花
頂上付近
ニッコウキスゲ、タテヤマリンドウ、ハクサンコザクラ、キンコウカ、ワタスゲとチングルマの穂
稜線
キオン、タカネコウゾリナ、タカネニガナ、それに一輪だけのハクサンオミナエシ
残雪
玉子石へ行く途中20~30m


 登り6時間、下りたまご石経由4時間50分、往復10時間50分、朝食昼食休憩時間を加算すればおよそ12時間を要する。平ケ岳は遠くいつも躊躇していたが、足が出来上がった今に於いて他にないとばかり、満を期し、荷を出来るだけ軽くし早朝4時鷹ノ巣登山口を出た。下台倉山までの登山道は概ね見通しの良い痩せ尾根で、所々で両側が切れ落ちている。風の時は要注意だ。




 私達より早く未明に3組6人が出発しており、途中1人が私達を追い越して行き、休憩の時又一人追越して行った。振返れば畝々と続く支稜線に遠くまで登山道が見え、後ろからも2組みの二人連れが来るのが確認される。その後2組を追越したが、その後上りの人には会わなかった。結局、今日の登山者は私達も含めて全部で14人だけのようだった。
 白沢清水の先で数人の下山者に会った。昨夜の山頂付近でのテントの数を聞いたら全部で10組だったと言う。白沢清水に1張りあったので11組となる。その人達は私達が行く前に下山してしまうだろうから、静かな山頂となることが予想された。

 沼の岳への急登に差し掛かる頃、下りて来る60歳台の男の人がいた。大分疲れているような歩き方で、すれ違う時大きくよろめいた。テント泊りにしてはザックが小さ過ぎるし、てっきり日帰りと思い、「早いですね」と声を掛けた。すると立止まり、「実は昨日足を痛めてね-、その日のうちに下山出来そうになかったので、諦めてね、夕べは玉子石の傍で寝て、今朝下りて来たんですよ」と言う。深くは聞かなかったがどうやら捻挫らしかった。自力で下りられそうだし、もし駄目でもそのうち私達も下山して行く事だし、何とかなるだろうとそのまま別れた。後で考えると、荷物からしてどうやら野宿したのではないかと思われた。誰かのテントに入れてもらうということは考え難いし、あるいはあんな小さなザックにツェルトでも持っていたのだろうか。何れにしても天気が良かったし、自力下山も出来そうだし、大事に至らず不幸中の幸いだったと思う。


中央奥に平ヶ岳が顔を見せる

 沼の岳への急登は5時間以上も歩いて来た者にとっては最後の試練だが、これを越えれば山上の楽園が待っていると思えば元気が出る。上部の登山道の傍らに可愛いハクサンオミナエシが一輪咲いていた。他にもあるだろうと付近を注意しながら歩いたが、とうとう見つからず、何時までもここで咲いてくれるように願わずにはいられなかった。登り詰めると小さい湿原があって、その中の姫池は向こうの丘のような平ガ岳を写して、キンコウカを彩りに静かなたたずまいを見せていた。

  
 少し低木のシラビソの林を下り更に登り返すと、そこからは広い山上湿原となっている。木道を歩き山頂が近づくと雰囲気がガラリと変わった。前を行った数組位しかいない筈の山上楽園が、大勢の中高年主体の登山者でにぎわっている。唖然とした。木道が三列になり休憩出来るようになっている所では、両側に座りビ-ルを飲んだり互いに持って来たご馳走を振舞ったりしていた。木道はテーブルになり、歩く部分にもザックが出張り、彼女は足がひっかかりそうになる。山頂はそこから右へ少し行った所の低木のシラビソの林との堺にあり、標柱でもなければ山頂を確定するのは難しい程なだらかな所である。それから先も一帯が湿原となっていて、木道が終わる所まで行って見ることにする。


越後駒ヶ岳

荒沢岳




燧ケ岳


ハクサンコザクラ


 訪れたのは7月末ということもあり、山上湿原を彩る高山植物の少なさは否めないが、それでも燧ヶ岳を背景にワタスゲの白い柔らかな穂が、頭を並べるように揺れるでもなく湿原を覆っていた。木道からは遠いがニッコウキスゲが少し咲いているのが見えた。T字路の所で湿原の中に入り写真を撮り合っている二人を見掛けた。傍まで行く頃には写真撮りは終り木道に出ていたが、後で何も言わずに通り過ぎた自分を、なんとも情けなくなった。

少し休憩して戻る時も、湿原の奥に花摘みと思われる女性の姿を彼女が発見、見ぬ振りして通り過ぎたが、「何でまたこの湿原の中でー?、場所なら他にいくらでもあるだろうに、ねえ-」と、さすがの彼女も語尾が上がる。マグマが競り上がってきているようだ。

 朝の休憩の時、私達を追越して来た単独の40代男性が、木道の休憩場所で食事をしていた。私は、「早かったですね。私達よりどの位前に着いたんですか?」と訊ねた。「30分位かな、最後の登りできつくなってしまってね」と言い、それから少し話をしていたら大勢の人達についても、「あの人達はね、民宿の車で送ってもらいラクラクコースから来た人達でね、靴も汚れていないし汗もあまりかいていないでしょう、民宿に泊まった人だけ送ってもらえるらしいよ」と、そちらを見ながら訴えるように語った。彼も又、静かな山のイメージを抱いて来た一人に違いない、言いたい事はすぐに判った。

 私達はそれから玉子石に向かった。玉子石への分岐の所で、玉子石が見たいが道が判らないと言う中年の女性がいた。教えて上げたが、その後離れず後から付いて来た。初めは単独かと思っていたが、ツア-ででも来たのであろうか、途中で時間が無いと言って戻って行った。気の毒に玉子石はそれから僅か数分先の所であった。玉子石はなるほど面白い石であったが、風化が進み危険だから近寄らないようにと書いてあった。玉子石の奥下方にコバルトブルーの空を写した神秘的な多数の地塘が存在し、そのためにその景観が生きている。眺めながら思った。この山の素晴らしさは、まさしく姫池と玉子石の存在にあり、この山の名山の地位はその景観により保たれていると。




 玉子石から戻る途中、らくらくコースから来たという五十歳代後半位の男性の三人連れに呼び止められた。私達が鷹ノ巣から来たのが何となく分かったみたいで、暫くの間鷹ノ巣コースの状況について訊ねられた。その人は、自分が来たそのコ-スを偽街道と言っていたが、今度は本物の街道から来てみたいと付け加えた。
 姫池で私達を待っていてくれたかのようにらくらくコースの命名者と一緒になり、下山も離れそうになると待っていてくれて、とうとう下台倉尾根までをともにした。

 台倉清水で水を汲み休憩している時、白沢清水で幕営していたという若い夫婦に会った。彼らは前日の朝9時に登り始め、あの台倉尾根までの登りで女性が体力を消耗してしまい、やっとの思いで白沢清水に着いたのだが、その時は既に夕方の5時を廻っていたという。しかたなくそこに幕営し、そして今日、空身で山頂を往復し下山の途中であるという事だった。私達が腰を上げると彼らも又大きな荷物を背負い一緒に出発した。しかしすぐに見えなくなり、その後見通しの良い痩せ尾根からも振返り振返り来たのだが、とうとう一度も二人の姿が見える事はなかった。荷物を少し持ってあげればよかったと思った。

 花崗岩が風化して砂状になった痩せ尾根の下りの所はステップが切ってあるわけでもなく、滑るので登りよりも更に慎重に下らなければならない。その尾根を過ぎるともう登山口まではそう遠くはない。

 長い下りから開放されようやく林道に出た。林道を少し歩くと途中一ヶ所広めの沢を横切る所があり、豊富な冷たい水が流れている。彼女はそこに先ずビールとジュースを冷やし、二人は汗に塗れたシャツと体を洗いながらビ-ルとジュースが冷えるのを待った。なんという幸せな一時であろうか。彼女と互いに遠い山への健闘を称え合い、更に、洗いたての冷たいシャツを着てビールを飲みながらのルンルン気分の林道歩きは、正に身も心も清まる思いだった。登山口に着いた時には丁度4時を指していた。実に12時間の長旅であった。


 この山旅で私は思った。自然を求めて行く者は厳しい長い道のりをも越えて行くし、それなりに自然が受け入れてくれるような知識や装備や体力をも備えて行くだろう。
自然を心底愛する人達、そういう人達にのみ許される夢の世界があったって良いではないかと思う。また、そういう人達でなければそこの自然の良さは理解出来ないし、そういう人達をこそ自然は迎え入れてくれるものと信じている。
楽をしてまで山に登り交流の場にしようなどと考えるなら、開発され観光化された楽な山が、他にいくらでもあるではないかと言いたい。








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